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W杯の歴史

2030年W杯は欧州・アフリカ・南米が一つの物語になる|千年の人の往来をたどる

更新:2026年7月21日 / ワールドカップ編集部 / 約9分で読めます
2030年ワールドカップは史上初めて6カ国・3大陸で開かれる。この顔ぶれは偶然ではない。海峡と大西洋を渡った人と球技の千年史が、6カ国を一本の線で結んでいる。

この記事の要点

  • 6カ国・3大陸は史上初の開催形式
  • 南米3国は1776年に同じ副王領だった
  • モロッコは中世にイベリアを統治した
  • 開幕は1930年と同じセンテナリオ

初心者メモ

Q. なぜ6カ国で開くの?

2030年が第1回大会から100周年にあたるためです。記念として第1回の舞台であるウルグアイなど南米3国で開幕戦を行い、その後の本大会をスペイン・ポルトガル・モロッコで開きます。

この記事の数字:南米3国は1776年まで同じ副王領だった。6カ国は地理ではなく歴史でつながる。

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結論——「6カ国・3大陸」でつながっている

2030年のワールドカップは、スペイン・ポルトガル・モロッコが主開催国となり、南米のウルグアイ・アルゼンチン・パラグアイでも記念試合が1試合ずつ行われる。FIFA公式によれば、これはワールドカップ史上初めて「3大陸・6カ国」にまたがる大会だ。開催の形式や日程そのものは別記事「2030年W杯は6カ国3大陸で開催」にまとめた。

この記事で扱うのは、その一歩先だ。なぜこの6カ国なのか。地図の上では欧州・アフリカ・南米にバラバラに散っているように見えるが、歴史をたどると、6カ国は「人とサッカーが実際に渡った道」の上に、順番に並んでいる。ジブラルタル海峡、大西洋、そして20世紀以降の移民の流れ——この一本の線をたどるのが本稿である。

2030年 開催6カ国の位置関係大西洋南米パラグアイアルゼンチンウルグアイ欧州(イベリア半島)ポルトガルスペインモロッコアフリカジブラルタル海峡わずか約14km大西洋を挟んで約1万km
アフリカ(モロッコ)と欧州(イベリア)は海峡を挟んで約14kmしか離れていない一方、南米は大西洋の向こう約1万km。近い2大陸と、遠い1大陸が、同じ大会を開く。図は編集部が作図(画像の転載ではない)。

原点は1930年、モンテビデオの「センテナリオ」

話は100年前に戻る。第1回ワールドカップは1930年、ウルグアイの首都モンテビデオで開かれた。その主会場が、いまも建つエスタディオ・センテナリオ(百周年競技場)だ。2030年大会は、この同じスタジアムでの記念式典から幕を開ける(FIFA公式)。

スタジアム公式の記録によれば、センテナリオは1929〜1930年に、移民労働者の手でわずか9カ月で建てられた。「センテナリオ(百周年)」という名は、ウルグアイ最初の憲法制定から100年を記念したものだ。そして1983年7月18日、FIFAはここを「世界サッカー唯一の史跡」に認定した——この称号は、以後どのスタジアムにも与えられていない。

1930年の決勝で、ウルグアイは隣国アルゼンチンに2-1とリードされながら4-2と逆転し、初代世界王者になった(FIFA公式)。参加はわずか13カ国。大西洋を渡ってきたヨーロッパ勢はごくわずかで、大会の規模は今とは比べものにならなかった。つまりワールドカップは、その第一歩からして「大陸をまたいで人が海を渡る」出来事だった。2030年に開幕戦がここへ戻るのは、単なる記念ではなく、原点の再現なのだ。

南米の開催3カ国は、かつて一つの領土

南米側の3カ国——ウルグアイ・アルゼンチン・パラグアイ——を「たまたま隣り合う3国」と思うと、大事なつながりを見落とす。この3国は、かつて一つの行政区だった

『フォーリン・ポリシー』誌の解説によれば、1776年にスペインが設けたラプラタ副王領は、のちにアルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイとなる地域を一つに束ねていた。スペインによる征服の始まりは1516年。つまり2030年に南米で試合を開く3カ国は、いずれも同じスペイン植民地から分かれて生まれた「兄弟」であり、いずれもスペイン語圏である(パラグアイは先住民言語グアラニーとの二言語国家)。

ここで主開催国のスペインとつながる。海の向こうの旧宗主国と、その言葉を話す3つの旧植民地が、同じ大会の開催国に名を連ねる——これが「一本の道」の南米側の姿だ。ちなみに2026年大会の決勝はスペイン1-0アルゼンチン。イベリアとラプラタの因縁は、100年後のいまも現役である。

英国人が持ち込み、移民が作り変えたサッカー

では、そのラプラタ地域に「サッカー」はどう根づいたのか。ここに、もう一つの糸——英国が絡む。

英ミッドランズ・ヒストリカル・レビュー誌の研究によれば、南米で最初のサッカーの試合は1867年、ブエノスアイレス・クリケットクラブのトーマス・ホッグらの手で行われた。ブエノスアイレスとモンテビデオの英語学校では、スコットランド人教師のアレクサンダー・ワトソン・ハットンとウィリアム・レスリー・プールが普及の起点になり、さらに鉄道会社で働く英国人の職場チームが各地に広めた。アルゼンチンの古豪の名(リバー・プレート、ボカ・ジュニアーズ、ニューウェルズ・オールドボーイズなど)に英語が残るのは、その名残だ。

だがそこで終わらない。英国人が持ち込んだ競技を作り変えたのは、スペイン系とイタリア系の移民たちだった。彼らの間で、英国流とは異なる、即興と個人技を重んじる「クリオージョ(土着)」の様式が育っていく。『フォーリン・ポリシー』誌は、この地の成り立ちを「スペイン語を話すイタリア系で、エリートは自分を英国人だと思っている」と評した。南米サッカーの根っこにも、欧州からの人の移動が刻まれているのだ。

モロッコは「アフリカ枠の偶然」ではない

残るはアフリカ、モロッコだ。「初のアフリカ・北アフリカ開催」という話題性で語られがちだが、モロッコがこの6カ国に入るのは、地理的な偶然ではない。モロッコは、かつて海峡の向こう側(=スペインとポルトガル)を統治した国だからだ。

ブリタニカ百科事典によれば、11〜12世紀、現在のモロッコを中心に興ったベルベル系のアルモラビド朝・アルモハド朝は、北西アフリカとムスリム・スペイン(アル・アンダルス)にまたがる帝国を築いた。首都はマラケシュ。書き手や芸術家がジブラルタル海峡を行き来し、アンダルシアの意匠が両岸に広まった。イベリアにイスラーム勢力が渡ったのは711年で、その後の数百年、海峡の両側は一つの文化圏として結ばれていた。

その証拠は、いまも建っている。建築データベースStructuraeによれば、セビリアのヒラルダ(現在は大聖堂の鐘楼)、マラケシュのクトゥビア、ラバトのハッサンの塔は、いずれもアルモハド朝が建てた「三姉妹の塔」だ。つまりスペインを代表する観光名所のひとつは、その出自をたどればモロッコ側の王朝の建築物にたどり着く。なお近代のモロッコは20世紀前半にフランスとスペインの保護領となり、1956年に独立している。海峡をはさんだ往来は、中世で途切れてなどいない。

2022年にモロッコが倒したスペインとポルトガル

この「海峡をはさんだ往来」は、現在進行形でもある。しかも劇的な形で。

2022年カタール大会で、モロッコはアフリカ勢・アラブ勢として史上初のW杯準決勝進出を果たした(オックスフォード大学移民研究センターCOMPAS)。その道中で倒した相手を見てほしい。ベルギー、そしてスペインとポルトガルだ(Gulf News/AP・Reuters配信)。2030年に共催する2カ国を、モロッコは8年前にどちらもピッチの上で退けている。

そして、そのモロッコ代表を支えたのが移民の子どもたちだった。COMPASによれば、2022年大会のモロッコは26人中14人が国外生まれで、これは大会全32カ国で最多。内訳はスペイン・フランス・ベルギー・オランダ・イタリア・カナダのディアスポラである。監督ワリド・ラグラギ自身もフランス生まれだ。この流れはさらに強まり、2026年大会の26人では約20人が国外生まれとされる(Bolavip)。かつて人はアフリカからイベリアへ、イベリアから南米へ渡った。いまはその子孫が欧州で生まれ育ち、ルーツの国の代表として海峡を「還って」いる。矢印の向きが変わっただけで、道は同じだ。

6カ国は「人が動いた道」そのもの

ここまでの糸を1枚に束ねると、こうなる。

3大陸をつなぐ、一本の道 アフリカ マグリブ モロッコ 欧州 イベリア半島 スペイン・ポルトガル 南米 ラプラタ地域 ウルグアイ・アルゼンチン・パラグアイ 英国(サッカーの母国) 8〜15世紀 海峡を越え統治 16世紀〜 大西洋を渡り植民 19世紀 サッカー上陸 ④ 20〜21世紀|移民が欧州へ、そして代表へ還る
6つの開催国は、ばらばらの点ではない。人と球技が動いた一本の道の上に、順番に並んでいる。図は編集部が作図(画像の転載ではない)。

①中世、アフリカ(モロッコ中心の王朝)が海峡を越えてイベリアを統治した。②大航海時代以降、そのイベリア(スペイン・ポルトガル)が大西洋を渡って南米ラプラタを植民地化し、言語を残した。③19世紀、英国人がそのラプラタにサッカーを持ち込み、スペイン系・イタリア系の移民が独自の様式に育てた。④20〜21世紀、移民の子孫が欧州で育ち、モロッコ代表としてルーツの国へ「還って」いる。

2030年の6つの開催国は、この①〜④の道の要所にそのまま並んでいる。だからこれは「欧州の大会にアフリカと南米を足した」ものではない。人とサッカーが千年かけて往来した一本の道の上で、W杯を開く——それが2030年大会の本質だと、編集部は考える。

【編集部の見立て】もちろん、FIFAがこの千年史を意図して6カ国を選んだわけではない。政治や招致の力学、大陸持ち回りの原則が実際の決定要因だ。だが結果として選ばれた顔ぶれが、人の移動の主要動脈とここまで正確に重なるのは偶然ではない。サッカーがどこで生まれ、どう広がったかを決めたのが、まさにこの海路・陸路だったからである。

まとめ——2030年は、地図の上のW杯だ

2030年ワールドカップは、6カ国・3大陸という「史上初」の器で語られることが多い。だがその器の中身は、もっと古い。1930年に船で大西洋を渡った第一歩、1776年に一つだった南米3国、海峡をはさんで統治し合った中世のイベリアとモロッコ、そして現在も海峡を往復する移民たち——それらがすべて、同じ大会の開催国という一点に集まる。

次にニュースで「2030年はスペイン・ポルトガル・モロッコ、南米で記念試合」と聞いたとき、地図を思い浮かべてほしい。バラバラの6点ではなく、人とボールが千年かけて描いた一本の線が見えるはずだ。100年前に始まった物語の続きは、その線の上で幕を開ける。

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参考資料・出典

本記事の作成にあたり、以下の情報源で事実を確認しました。データは確認時点のものです。図版は編集部が作図したもので、画像の転載ではありません。

  • FIFAFIFA World Cup 2030™(FIFA公式)確認した内容:モロッコ・ポルトガル・スペインが主開催国で、アルゼンチン・パラグアイ・ウルグアイで記念試合を各1試合ずつ行うこと、2024年12月11日の臨時FIFA総会で決定したこと、3大陸・6カ国にまたがる大会であること
  • Estadio CentenarioStadium history(センテナリオ競技場 公式)確認した内容:1930年第1回W杯の決勝会場であること、1983年7月18日にFIFAが「世界サッカー史跡」に認定した唯一の建造物であること、2030年W杯開幕式典の会場になること
  • FIFAEstadio Centenario: An icon of world football turns 90確認した内容:憲法制定100周年に合わせて命名されたこと、1930年決勝でウルグアイがアルゼンチンに2-1から4-2と逆転して初代王者になったこと、1983年の認定が以後一度も与えられていないこと
  • BritannicaAlmoravids(ブリタニカ百科事典)確認した内容:ベルベル系の連合が11〜12世紀に北西アフリカとムスリム・スペイン(アル・アンダルス)にまたがる帝国を築いたこと、書き手や芸術家がジブラルタル海峡を越えて往来しアンダルシアの意匠が広まったこと、マラケシュを首都としたこと
  • StructuraeHassan Tower(Rabat, 1199)確認した内容:ラバトのハッサンの塔が、セビリアのヒラルダ、マラケシュのクトゥビアと同系の「姉妹塔」であり、いずれもアルモハド朝(マグリブとイベリアにまたがるベルベル系ムスリム帝国)の建築であること
  • Foreign PolicySpain and Argentina Share a Common Language and Love for Soccer確認した内容:1776年設立のラプラタ副王領がのちのアルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイを含んでいたこと、スペインの上陸・征服が1516年に始まったこと、アルゼンチン社会がイタリア系移民・スペイン語・英国志向の混成であること
  • Midlands Historical ReviewAnts and Cicadas: South American Football and National Identity確認した内容:南米初のサッカーの試合が1867年にブエノスアイレス・クリケットクラブのトーマス・ホッグらによって行われたこと、ワトソン・ハットンとプールが学校を通じて普及させ、鉄道会社の労働者チームが広めたこと、クリオージョ・イタリア系・スペイン系の間で独自の様式が育ったこと
  • COMPAS(オックスフォード大学)Morocco's World Cup: The diaspora choose to champion their motherland確認した内容:モロッコが2022年に初のアフリカ・アラブ勢のW杯準決勝進出を果たしたこと、26人中14人が国外生まれ(大会最多)で、スペイン・フランス・ベルギー・オランダ・イタリア・カナダのディアスポラを含むこと
  • Gulf News(AP/Reuters)Morocco's foreign-born contingent deliver確認した内容:モロッコが2022年にベルギー・スペイン・ポルトガルを破って準決勝に進んだこと、26人中14人が国外生まれで大会最多だったこと、ディアスポラの発掘が組織的に行われていること
  • BolavipHow many players born overseas are representing Morocco at the 2026 World Cup?確認した内容:2026年大会のモロッコ26人のうち20人が国外生まれであること
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